ボクシング界のスーパースター「パッキャオ」選手と「メイウェザー」選手と日本で再戦するという噂が出てきました。
まだ、詳細な日程は決まっていないようですが、歴史的な対戦に期待が集まりますね!
2015年のパッキャオ選手とメイウェザー選手の夢の対戦では、惜しくも負けてしまいましたが、巨大なファイトマネーにも注目が集まりました。
今回、再戦が決定すれば再びファイトマネーに注目が集まりそうです。
そこでここでは、パッキャオ選手の経歴と活躍、年収とファイトマネーを振り返っていきましょう。
Contents
マニー・パッキャオの経歴、今までの成績は?
パッキャオ選手はフィリピンの出身で現在39歳のプロボクサーです。
パッキャオ選手には様々なニックネームがあります。
その強さからゲームで有名な「パックマン」、「デストロイヤー(破壊者)」、またメキシコ人から多く勝利したことから「メキシカンキラー」とも呼ばれています。
マニー・パッキャオの少年時代
パッキャオ選手は今でこそ、多くのファイトマネーを稼いでいますが、少年時代は家庭の貧困により生活に苦しんでいたようです。
母親がパートタイムなどで生活費を稼いでいましたが、それでも足りずパッキャオ選手自身も花やタバコを販売していました。
中学校では学費が払えず中退するなど、かなり生活が困窮していたことが伺えます。
そんな中、ボクシングに興味を持ち始めたのは8歳のとき。
地元の毎週の大会にも出場するなど、ボクシングのプレイヤーとしての人生が始まります。
14歳の時にフィリピンの首都マニラへ出稼ぎに出ると、路上生活を続けながらボクシングの練習を本格的に始めました。
マニー・パッキャオのプロボクサー転向
引用:https://twitter.com/goete1/status/1047251486487408641
パッキャオ選手は1995年にアマチュアからプロボクサーに転向します。
階級は最も軽いライトフライ級でしたが、それでも体重が足りず、重りを隠して体重検査を突破したそうです。
そして、プロの初試合のファイトマネーはわずか2ドル。
日本の最低時給にも到底及ばない額です。
パッキャオ選手でさえもこんな時代があったのですね。
転機となった試合は2001年6月23日、IBF世界スーパーバンタム級の王者、レーロホノロ・レドワバ選手(南アフリカ)との対戦です。
レドワバ選手に勝利し、2階級制覇を達成したことで、パッキャオ選手の名前が世界に知れ渡ります。
その後は、フェザー級、スーパーフェザー級、ウェルター級、スーパウェルター級にも進出し、2010年11月ついに6階級制覇の偉業を達成します。
また、恵まれた体格とは言えないアジア人のボクサーの中で、フィリピン出身のパッキャオ選手が世界トップクラスの選手になり、アジア人ボクサーに希望を与えました。
そして、2015年にはWBC世界ウェルター級のスーパー王者であるメイウェザー選手と王座統一戦を行い、夢の対決が実現しました。
結果は惜しくも敗北でしたが、パッキャオ選手は積極的に攻め続けました。
2016年4月10日には一度引退をしましたが、11月に現役復帰します。
直近の2018年の7月15日には、WBA世界ウェルター級王者の「ルーカス・マティセー」選手と対戦し、勝利。
WBAの世界王者の座を獲得し、まだまだバリバリの現役と言えますね!
マニー・パッキャオの年収・ファイトマネーは?
Joshua 24:15
“Choose you this day whom ye will serve; but as for me and my house, we will serve the Lord.”
Have a blessed Sunday everyone. – Pacquiao Family pic.twitter.com/2BzfeBEExT— Manny Pacquiao (@mannypacquiao) 2018年8月5日
今でこそ高額なファイトマネーを手にしていますが、プロボクシングのデビュー戦のファイマネーはわずか2ドルでした。
今となっては信じられないくらい少ないですよね。
しかし、その後メキメキと頭角を現し、ファイトマネーも上昇していきます。
2011年には年収2500万ドル(20億800万円)を手にし、スポーツ長者番付で24位を獲得しました。
2012年と2015年にはスポーツ長者番付2位となるなど、長者番付の常連となります。
以下の表は、パッキャオ選手の年収の変化を示したものです。
年収 | スポーツ長者番付 | |
2012年 | 6200万ドル | 2位 |
2013年 | 3400万ドル | 15位 |
2014年 | 4585万ドル | 11位 |
2015年 | 1億6000万ドル | 2位 |
2016年 | 2400万ドル | 63位 |
特に、メイウェザー選手とパッキャオ選手の夢の対決があった2015年は、ドルで1億ですから円に換算すると100億円を超えた可能性がありますね。
では、ファイトマネーはどのように変化してきたのでしょうか?
対戦相手 | パッキャオの勝敗 | ファイトマネー | |
2005年3月19日 | エリック・モラレス | 負 | 175万ドル |
2006年1月21日 | エリック・モラレス | 勝 | 200万ドル |
2006年11月18日 | エリック・モラレス | 勝 | 300万ドル |
2008年3月15日 | ファン・マヌエル・マルケス | 勝 | 300万ドル |
2009年5月2日 | リッキー・ハットン | 勝 | 1200万ドル |
2009年11月14日 | ミゲール・コット | 勝 | 2200万ドル |
2010年3月13日 | ジョシュア・クロッティ | 勝 | 1500万ドル |
2011年11月12日 | ファン・マヌエル・マルケス | 勝 | 2200万ドル |
2012年12月8日 | ファン・マヌエル・マルケス | 負 | 2600万ドル |
2013年11月23日 | ブランドン・リオス | 勝 | 1800万ドル |
2015年5月2日 | フロイド・メイウェザー・ジュニア | 負 | 1億5000万ドル |
2016年4月9日 | ティモシー・ブラッドリー | 勝 | 2000万ドル |
2009年の頃からファイトマネーが急に上昇していますね。
2010年頃からは、平均2000万ドル以上を1試合で稼いでいることになります。
日本円で単純計算で1ドル=100円だとしても、1試合約20億円という破格の額が動いていることになりますね。
2015年のメイウェザー選手との1試合では、わずか36分の試合時間で、およそ100億円ものファイトマネーを手にしました。
それだけ、世界中でメイウェザー選手との対戦が注目されたということですね。
まとめ
パッキャオ選手の経歴と年収・ファイトマネーを見てきました。
スポーツの中でも、ボクシングのトップクラスの選手は、桁違いのファイトマネーを手にしています。
少年時代の極貧生活があったからこそ、逆にそれをバネにしてここまで強くなったのかもしれません。
また、2018年9月にはパッキャオ選手とメイウェザー選手の日本での再戦の可能性が浮上しました。
詳細についてはまだ決まっていないようですが、国内で世紀の一戦をするとなれば、一層期待が高まりますね!
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